私は丁寧にお辞儀をしてから、本題に入った。 「君たちの議論を先ほどから聞いていた。他人からこんなことを言われるのは鬱陶しいかと思うが聞いてほしい。そんな感情に任せた議論から君たちは何を得るのか? 無味乾燥な議論をしている時間があったら、まずは走りなさい」
一人がムッとしたが、両目に力を入れて相手を制し、続けた。
「体のあらゆる部分についているその脂肪を何とかしたらどうだ? 男として格好悪いぞ。やることをやってから、論拠を以って批判することだ。僕が女だったら、そういう男を格好良いと感じると思う。繰り返す。罵倒の前に、まずは走れ。少なくとも、腹筋をしなさい」
真剣に持論を説いたが、「何なんだ、こいつは」という表情で相手にしてもらえなかった。「こいつ、頭おかしいんじゃないのか」という表情をしたまま、二人は下車していった。私から距離を置きながら。
相変わらず、無責任な論評が社会に溢れている。残念ながら、これが日本の現状である。
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若者の「恋愛離れ」と世代間格差(上村祐一) - BLOGOS(ブロゴス)
かわいそうとは言えない真実。
なぜ、エジプト革命が果たされたのか?
なぜ、反政府デモの最中、エジプト軍が中立を表明したのか?
簡単な話だ。単に抑圧する側の力が衰えたからだ。ムバーラクにまだ政治的な力があったなら軍は行動を起こしたはずだ。そのときは一瞬で民衆蜂起は瓦解していただろう。
ようするに、軍が自国の政権を賞味期限切れだと判断したのだ。
このようなことはベルリンの壁の崩壊時にも起こったし、おおよそ革命と名がつくものの背景には少なからずある現象だ。
それが革命の順番なのだ。
だから、SNSでの呼びかけで人が集まったとか、インターネットを遮断されたが、他国からの外圧でまた開くことになったとか、そんな経緯は瑣末なことだ。成功した後で革命を語るとき、確かにそういう文脈は時代性もあって魅力的に映る。けれども、それを賞賛することで納得していたら、結局はまた物事の本質に辿り着けず、一過性のブームで終わるだけだ。
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